部分説 1(日本語)

何もかもは, それらの全体の一部。
自分、そして自分の経験である現実・事実のすべては、自分が一部分である全体の一部であり、その全体から全体の脳・脊髄を通して放出されている。

E1zzz一部分に全体は存在しない。神道で神を山や木、石などの”もの”も祀るのは、宇宙全体に居る・存在する何もかもへの、それらの経験としての個人内での現象と認識でのとらえ(現実と事実)から区別しての、敬いであろう。そして、全体自身内(自分・自覚が経験である現実・事実とともに一部分である全体内)からの我々自分・自覚からの全体自身を通じての、神の世である宇宙全体との繋がりでもあり、それが自分の一部分としての全体zzz D3 projected actuality自身との行い・起
こり事ともいえよう。

まとめれば、全体自身は、宇宙全体である真実ともいえような神の世に、他の全体と共に、居て生きて行動している。それに対するのではなく、一部分としての 自分・自覚だが、全体から”頂いている”ともいうべきの 居て生きて行動していると思わせる、しかしながらも経験にそして意味にみちる”話”にとらわれぐちである。

まさに一部分である自分にとって全体は,無であり 又全体の脳・脊髄を通しての放出である一部分内の自分・自覚は、経験である現実・事実、そして意識などと互いに対称しての 空間内での存在といえよう。
すなわち、自分・自覚と全体自身、そして経験である現実・事実と宇宙全体である真実の区別は、無と空の区別でもあろう。efbc921zzz.jpg